呑歩記其ノ伍拾壹、有楽町

日本国民はアメリカがかつて敵だったことを速やかに忘れたが、マッカーサーはフィリピンのバターン攻略戦で撤退に追い込まれた屈辱をけっして忘れてはいなかった。 とくに彼を破った本間雅晴中将に対しては、四三もの罪状を挙げ容赦なく銃殺刑を科した。 処刑の日時は昭和二一年四月三日午前〇時五三分。ちょうど四年前にバターン第二次攻撃を本間中将が命じたその日、その時刻を選ぶという念の入りようである。 本間は刑の執行を前に次のように語ったという。
「私はバターンにおける一連の責任を取って殺される。私が知りたいのは、広島や長崎の無辜の市民の死はいったい誰の責任なのか、という事だ。それはマッカーサーなのか、トルーマンなのか」
その声をマッカーサーは黙殺、東京裁判や徹底的な戦犯追及を通じ、屈辱をなめさせられた日本へのリベンジを次々に果たしていった。 - 北康利『白洲次郎』

誕生日おめでとう。「銀座で蕎麦食つて映画観ない?」。一日有給取つて誕生日を祝う。 昼間から蕎麦屋で麦酒。いいじやん、まだ夏だから。「田中屋」の蕎麦は美味かつた。映画は「SALT」。なかなか面白かつた。アンジェリーナ・ジョリーかつこいいつす。 夕食まで時間があるから丸之内の美術館で「三菱が夢見た美術館」を観る。いいじやん、柄じやあなくたつて。 夜はお寿司だよ。「仙台下駄や」で麦酒、檸檬サワー、冷酒を呑みながらお寿司を戴く。此処は二回目だけどやつぱ美味しひね。最後の味噌汁で汗かいたよ。 今宵も醉つて候。QED

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